2008年12月9日火曜日
スピーチ
オリンピックとは4年に1度開催される世界的なスポーツ祭りです。世界平和と選手の腕を披露することが目的とされています。今のオリンピックは1896年から始まった「近代オリンピック」を意味します。その前にもオリンピックがありました。それは紀元前776年から始まった「古代オリンピック」です。それが393年に終わって、それから1500年後、1896年に復活させられました。近代オリンピック第一回はギリシャのアテナで行われ、14カ国が参加しました。それ以降オリンピックに参加する国が少しずつ増えていて、今年中国の北京に行われた大会には204カ国が参加しました。その中にアメリカと日本がいました。
アメリカと日本を統計で比べてみてみましょう。アメリカから参加した選手は596人で日本の選手は350人でした。アメリカは金メダルを36銀メダル38銅メダル36を獲得しました。日本は金9銀6それから銅メダルを10獲得できました。割合を計算すると日本の選手の約7%がメダルを取ることができて、アメリカの選手の約19%がメダルをとることができました。結果的にアメリカは51の金メダルをとった中国についで2位になり、日本は8位となりました。
オリンピックで金メダルをとることはけっして簡単なことではありません。北京五輪に参加した204カ国からたった15カ国が金メダルを四つ以上とることが出来ました。それから参加した全てのオリンピックに金メダルを1回もとったことがない国もあります。私は金メダルどころかオリンピックに入ることだけはとても誇らしいことだと思います。誰でも努力すればきっと入れるときれい言葉いいたいが、現実は才能も不可欠であります。そしてどんな天才も死ぬほど努力しなければたどり着かない頂点でもあり、あこがれるべきだと思います。だからメダルを取った選手は国に帰ると熱く祝われ、強く尊敬されます。
では日本のメダルみてみましょう。金メダルは女性ソフトボール、女性レスリング55kgと63kg、水泳100mと200m、柔道男性66kgと100kg、柔道女性63kgと70kg。銀メダルは男性レスリング55kg、女性レスリング48kg、フェンシング、男性体操(個人とチーム)、女性柔道78kg。最後に銅メダルは、陸上競技、サイクリング、レスリング、水泳、シンクロナイズドスイミングと柔道。
日本に帰ったらメダルを取った選手達はセレブになって、バラエティ番組にも出ていました。たとえば人気バラエティ番組SMAPXSMAPは金メダルを取った女性ソフトボールチームやスイミングで世界記録を破り2つの金メダルをも取った北島康介に来ていただきました。柔道で金メダルを取った石井慧によると、今は注目されている生活をしていて、幸せだといいます。北島康介も今はセレブのように扱われ、子供に泳ぎを教えるエベントなどに参加しています。
では、どうして国々の獲得したメダル数は大きく違うでしょう。中国は100でアメリカは110メダルも取ったに大して、ほとんどの国は10メダル以下です。その理由はお金です。金メダルをとるには金が必要です。数字を見るとある事実にたどり着けます。それはGDPの高い国が低い国よりたくさんのメダルを獲得する傾向があります。北京五輪のベスト5は中国、アメリカ、ロシア、イギリス、それからドイツ。それぞれのGDPランキングは2位、1位、8位、6位、それから5位。例外としてジャマイカ、キューバとベラルーシ。GDPは108位、68位と69位なのに、メダルを10以上取りました。そして逆にインドはGDP4位なのに、3メダルしか取れませんでした。それは、GDPの高い国の方が、選手の才能が上だというわけじゃありません。国は金があればあるほど、その金を選手を育てるために注げるからです。その国には選手の能力を磨く施設があります。しかし、金のない国にはそういう施設を建てる余裕はありませんので、選手達は自分の才能を活かすことが出来ません。
数字をよく見れば明らかな事実です。だからといって小さい国は諦めるわけにもいきません。どんな国に生まれても、才能のある選手は夢を見て、努力すれば金メダルも取れるでしょう。北京五輪にバーレーンというとても小さいアラブの国も金メダルを一つとることが出来ました。
オリンピックでは、選手達が頑張っているところ、夢を叶えようとしているところ、それから重なった努力の結果となる勝ちとっているところを見れば、感動せざるをえませんでしょう。オリンピックは私達にあることを教えてくれる: 夢を見て、頑張って、それから絶対諦めるな。
2008年11月26日水曜日
日記5
2008年11月12日水曜日
(日直2)
(2008年11月9日 読売新聞)
大阪市生野区の神社で、毎月一日に人が寄進する1万円入り祝儀袋を狙ってさい銭泥棒をしたとして、警察が仲西容疑者(60歳)を逮捕したという。
仲西容疑者の供述によると罰当たりとは思ったが、生活費がほしくて、4月頃から毎月盗んでいた。
捜査によると仲西容疑者は、生野区の神社で、棒の先端に粘着テープを張ってさい銭箱に差し入れ、1万円入りの祝儀袋などを盗んでいた。
仲西容疑者は自転車で盗みたい神社を探し、この神社では毎月一日に1万円入り祝儀袋を供える人が多いと知った。
神社の人は、近くに空の祝儀袋を見つけたことを不審に思って、防犯カメラを設置した。十月一日の映像にさい銭を盗む仲西容疑者の姿が移っていたので警察に被害届を提出した。警察は今月一日朝、敬意代で張り込んでいて、仲西容疑者が現れたとき逮捕した。
仲西容疑者は他の神社を含めて、約十回盗んだと供述しているという。
2008年11月7日金曜日
(日記4)無題
2008年10月27日月曜日
(日直1)挙式予定式場に放火し 逮捕
私はこの男がしたのとてもバカで無責任なことだと思います。女性をだまし結婚まで約束し、最後の最後にそれを避けるため式場に火をつけるなんて、普通の人なら考えられないことだと思います
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081027-OYT1T00050.htm
2008年10月17日金曜日
(日記3)無題
http://www.boreme.com/boreme/funny-2007/police-helps-kid-p1.php
http://www.boreme.com/boreme/funny-2007/calculator-speed-wizard-p1.php
2008年10月15日水曜日
(日記2)無題
先週の土曜日から秋休みだった。私は休みには普通、勉強も宿題も一切しないでゲームばかりして過ごす。だけどこの休みだけはちょっと違った、びっくりすることには、ゲームより勉強の方に時間をつぶした。別に試験などなかったけど、ただいつも勉強せずにいる罪悪感を感じて今度は勉強するより仕方がなかっただけ。今週の宿題はほぼ全部出来た。それから日本語の勉強も久しぶりにした。
実は私、長い間日本語の勉強をサボっていた。その結果文法も漢字も弱ってきてしまった。字は読めても書く時は思い出せない漢字が増えてきたと気付いてしまった。そこで私はこの休みこそ日本語を改めて勉強すると決めた。これから毎日勉強するとは言えないけど、せめては一週間に3時間くらい勉強したいと思う。漢字だけはすでにDSソフトの「200万人の漢検」で、毎晩復習するようにしている。本当に役に立つと思うので下にリンクをおいておく。
http://www.nintendo.co.jp/ds/software/ak9j/index.html
2008年10月5日日曜日
(日記1)奇跡的に日記を!
今日はCS354のラボを続けようとしたが相変わらずラボのウェブページに書いているラボ説明は分かりにくすぎて、どうすればいいか全然分からない。まるでラボ説明を書いた人が学生に分からないよう曖昧さを強調し、わざわざ紛らわしく書いたように感じる。それに一番気に入らないのはクラスで仕方を教えるどころか、ウェブページにオンラインチュートリアルへのリンクをあげて、私達にそれを読んで自習しろと!!クラスの内容はラボの役に立ってほしいのに。
では、300文字も過ぎたということで、日記の第一回はおめでたく終わりました。これは祝うすべきことだな。少しゲームをして寝よっか・・・
2008年9月11日木曜日
夏休みの思い出
帰ったころは、友達のほとんどは留学で海外だった。イギリスの夏休みはどうやらアメリカのが終わってから始まるようだからそうなってしまった。その上サウジにいる友達は期末試験の勉強で忙しいので、会えるのは一週に1、2回だけだった。つまり私の5月は真の退屈な月だった。プレステがあればゲームでなんとか時間を潰せたけど、持って来なかった。その後最悪な挫折状態になってしまった。私は6月にサマースクールがあるためアメリカに帰らないとだめだった。しかし、新しいビザがだいぶ遅れたので一週間も欠席することになった。そのため英語420の授業をドロップアウトさせられてしまった。それでも夏は悪くなかった。なぜなら6月にアメリカに帰ったらすぐプレステ3を買ってメタルギアソリッド4という史上最高のゲームを楽しめることが出来たからだ。それからアメリカにいる友達とバドミントンでもやってて、いい時間を過ごせた。
私の夏は大変だった。色々ないやなことがあった。お金も沢山使った。しかし、今振り返ると懐かしいと思う。確かに大変だったけど、忘れられない思い出は作れた。そして、色々を学んだ。今、来年の夏が今年のより、とてもいい夏になるのを祈っている。
2008年4月25日金曜日
地球温暖化
現在では、地球温暖化という表現をよく耳にするようになりました。その意味は文字通り、地球の(平均)温度が段々暖かくなっていく現象です。もっと正確で、正式な定義をするなら、地球表面の大気や海洋の平均温度が長期間に見て上昇する現象です。温度が暖かくなるせいで、動物の生きるシステムに変化が出るし、北極や南極の凍りが溶けて海水面が上がることになります。それから気候も突然変わって、異常気象を起こすこともあります。
私はその問題について色々話したいと思います。気になるところはいくつかあります。地球が温暖化している証拠はあるでしょうか。地球はどうして温暖化しているのでしょうか。私達の生活に悪影響はあるでしょうか。その温暖化を止めることが出来るでしょうか。そして、そのことに対して私達は何をするべきかです。
まずは、温暖化の証拠を見てみましょう。証拠といっても、地球温暖化は問題であるのは事実だと証明するための証拠じゃなくて、地球は本当に温暖化しているから起こったことを見せるためのデータです。最初はIPCC(Intergovernmental Panel on Climate)という国際組織のレポートの結果です。
(1)19世紀末以降、地球全体の年平均気温が0.3~0.6℃上昇、海面は10~25cm上昇している。気温の上昇速度は過去1万年にみられた平均昇温速度よりも大きく、自然に生じた変化のみによるものとは考えにくい。
(2)氷河が後退したり、春季の積雪面積が減少している。
(3)気候予測を行うコンピュータモデル(大気大循環モデル)の改良が進み、温室効果ガスやエアロゾル(大気中の微粒子で太陽光をさえぎる作用があるため、冷却効果を持つ)の冷却効果を考慮した計算が実際の気象データによく合致する。
そのレポートは地球温暖化の明らかな証拠になると思います。証拠はそれだけではなく、一般人も感じる異常気象が証拠になります。たとえば、数ヶ月前私の国、サウジアラビアでは温度がゼロ度以下、マイナスに下がってしまいました。それは初めてのことでした。普通なら、5度よりがると奇跡のように思われるのです。
地球温暖化の理由を述べると、あくまでも自然じゃなくて、人間の仕業だと分かります。具体的にいうと、化石燃料の使用に伴った二酸化炭素の増加が原因の一つです。人為的な温室効果ガスの増加も平均気温の上昇の原因となります。
地球温暖化は様々な悪影響をもたらすと見られています。たとえば、気温の上昇、異常気象、海水面の上昇、生態系への影響、それから社会への影響もあります。
地球温暖化を完全に止めることは出来ないかもしれませんが、そのスピードと幅を大いに縮めることが出来ます。そのために、国際政府は対策として、色々な政策を決めました。その多くはエネルギーの消費を緩和するためのルールです。
地球温暖化に対して対策をしなければならないのは政府だけじゃなくて、皆の義務だと思います。皆で地球に生きているから、皆で地球を守るべきです。
単語:
地球の温暖化 Global Warmin
平均 Average
表面 Surface
上昇 Rise(v.)
現象 Phenomena
証拠 Evidence
化石燃料 fossil fuel
異常気象 Abnormal weather
2008年4月16日水曜日
銃社会
まずは、国々の犯罪率を見てみましょう。銃所持が許されている国の犯罪の数と銃で行われた殺人率は銃の使用がゆるされていない国とくらべたら、非常にたかいそうです。しかも、銃を買うことがもっと簡単な国では、犯罪率がより大きいそうです。統計によると、犯罪率と銃の法律は明らかに関連しています。人が殺されるのを止めるため、銃を禁止する必要があると思います。
銃の使用によって絶った命は全部殺意で行われた殺人じゃありません。沢山なのは事故に近かったです。包丁とほかの道具では、殺人は最初から「殺す」という強い意思がなければ、あまり起こりません。でも、銃の場合、殺人は引き金を引くだけで、簡単にできるため、殺意がなくても、一瞬でも怒れたら殺人は起こってしまいます。それに、間違って撃って、殺すこともあります。銃はおもちゃじゃない、危険な道具で、警察と限定された人にだけ使用を許すべきです。
銃で起こった事故は大人に限るものではありません。子供、若者も時々誤って自分の友達や家族を殺すこともあります。映画、ゲーム、アニメなどの若者に人気なエンターテインメントには、銃はよく見られます。かっこいい映画の英雄の銃の使いをまねして、悲劇を生んでしまうこともあります。一家に銃一台でもあれば、家族を皆必要ない危険に置きます。
銃は人を守るとでも、合法を賛成する人は論議するかも知れませんが、本当に守るかどうかも私は疑います。銃の使用に守られた命と失われた命を比べたら、後者の方が多いでしょう。銃は、人は守れない、人を殺す。それから、農場か田舎には、銃を許すことは必要だと言っているもいますが、私もその意見に同意せざるをえません。でも、そういう離れたところに銃ではなくて、ライファルなどの大きいのをだけ許せばいいと思います。ああいう銃ではたとえ農場とかから買われても大きい銃なので町には、隠して歩くことはできません。
最後にもう一度いいましょう。銃の合法はゆるされるべきではありません。銃は人を守れない、人を殺すだけです。警察にしか持たせるわけにはいきません危険なものです。
2008年2月29日金曜日
ホームステイ
今度のブログのテーマはホームステイとホストファミリーの問題になっているが、実は私はあんまり詳しくないトピックだし、興味も全然ありませんでした。しかし、しばらく調べてみると、ホストファミリーに関する面白い記事を読めました。そして、その記事の語った問題をここで話させていただきたいと思います。
一つ目の問題の前に、ホストファミリーはどんな気持ちで受け入れをするのかを見てみましょう。昔からホストファミリーというのは、一つの家族が国際交流を目的にして、外国人を受け入れていました。もちろんボランティアで無料でした。でも、今頃はほとんどのホームステイが有料となってしまいました。ここで、疑問が発生しました。「ホストファミリーは今でも国際交流を目的として、外国人を受け入れているのか? それとも、単なるサイドビジネスとなってしまったのだろうか?」という疑問です。では、国際交流のためか、お金のためかをよく見てみましょう。
答えは色々な要素によって違ってくるそうです。国、受け入れた家庭、そしてさまざまな状況が絡んでいるらしいです。例えば、発展途上国では、受け入れるかわりにもらうお金が、ホストファミリーの家計の大きな助けになるため、お金も大切な目的と言えるでしょう。しかし、ホームステイをした人の経験から見ると、どこでも、お金だけのためにホストファミリーをしている家族はほとんどないらしいです。受け取っているお金はホームステイした人の色々な面倒を見れるようになるような“支え”だとも考えられるでしょう。
もう一つの問題ですが、ほとんどのホームステイプログラムではホストファミリーを選ぶことが出来ません。そのため、「ホストファミリーには当たりはずれがある」とよく言われます。それはある程度事実なんですけど、客観的に見るとホストファミリーの方もホームステイしてくる人を選ぶことが出来ないから、当たりはずれはお互いさまなので、文句ばかり言うより、出来るだけホストファミリーと仲良くするのが一番いいでしょう。
ホームステイでは、文化のとても違う家族としばらく住むことになるので、問題が生じるのは当たり前のことだと思います。そしてその経験を活かすのに、我慢と理解がとても必要だと思います。ホームステイをする前に、そのトピックについて読むことと、ホームステイした人の経験を聞くのが、ホームステイ先の家族ととても楽しい時間を過す鍵になると思います。
ソース:
http://allabout.co.jp/study/homestay/closeup/CU20011120/index.htm
単語:
国際交流(こくさいこうりゅう)international (culture) exchange
目的(もくてき)purpose
受け入れる(うけいれる)accept, take in
要素(ようそ)an (essential) element
疑問(ぎもん)question, doubt
発生(はっせい)occur, come into existence
発展途上国(はってんとじょうこく)developing country
鍵(かぎ)key
2008年1月31日木曜日
バレンタインデー
アメリカとヨーロッパでは女も男も好きな人にプレゼントを贈ります。それに比べて、日本では、バレンタインデーに贈り物をするのは女だけだそうです。西洋では人にカード、花、チョコレートなどを好きな人に贈りますが、日本では義理チョコというのがあって、女が職場の男性にもチョコレートをプレゼントします。そして、その日をきっかけして、告白する人もたくさんいるらしいです。しかし、バレンタインデーはいつ、どうやって始まったのでしょう。
話は3世紀のローマから始まったのです。あの時の皇帝は戦争に出向かうから、愛と家族は戦場で戦う意志を阻むと考え、兵士達の結婚を禁じてしまったのです。その時、キリスト教徒のバレンタインは兵士達を哀れに思い、密かに結婚をさせてしまいました。しかし、皇帝はそれを許さず、バレンタインを2月14日に処刑しました。ローマ200年後、独身の男女は2月14日にくじ引きでつきあう人を決めるお祭りがったといいます。そのお祭りによって、風紀の乱れを恐れたキリスト教徒は、このお祭りを廃止し、キリスト教の殉教者をまつるお祭りにすることを決めました。その殉教者とは、恋人達のために命を落としたバレンタインでした。それ以降、2月14日は恋人達がプレゼントを贈りあう日となりました。
愛を表したい時、チョコレートはよくプレゼントをされます。しかし、チョコレートは愛と何の関係があるのでしょう。実は、16世紀、スペインのフェルナンド・コルテスがアステカ帝国からカカオ豆を持ち帰ったとき、それが恋の薬として広まったといいます。そのため、今でもチョコレートは恋愛と連想しています。
私の意見ですが、こういう祝日をきっかけに、少し歴史を勉強するのがとてもいいと思います。祝日の由来を知って祝うのがもっと楽しいと思います。
ソース:
http://valentine.stylegraph.net/knowledge/roots.html
単語:
浮かぶ(うかぶ)come to mind. float
告白(こくはく)confession
皇帝(こうてい)emperor
意志(いし)will, intention
阻む(はばむ)prevent, obstruct
兵士(へいし)soldier
哀れ(あわれ)pity
密かに(ひそかに)secretly
廃止(はいし)abolish
殉教者(じゅんきょうしゃ)martyr
帝国(ていこく)empire
連想(れんそう)associate
2008年1月23日水曜日
ロードトリップ
友達は三人だった。その時私はまだ運転免許証は持っていなかったので、運転せずにすんだ。友達の中で免許書を持っていたのは二人だけだったので、一人4時間ずつ運転して、ボストンまでの半分の距離(約8時間)にあるバファロという都市に泊まることにした。
道は長かった。でも8時間後やっとバファロに着いた。そこで一度寝て次の日にナイアガラの滝を見に行って、それからもう一回寝てから、ボストンに行く予定だった。
ナイアガラは美しかった。私は生まれて初めてそんな美しい光景を見た。まるでよく描かれた傑作絵画のように美しかった。この世にこんな魅力的な場所があるとは思わなかった。自然はほんとにすばらしいなあと思った。
夢の滝の冒険は終わって、ホテルに戻ってよく寝た。
次の朝、ボストンに出発だ。
出発してから約4時間、ボストンまではあと3時間くらいだった。その時私はトイレに行かないでずっと我慢していた。でももう限界だった。友達に今すぐ車止めてといった。だけどハイウェイの真ん中ではやっぱり車なんか止められるはずがなかった。次の出口まで10分くらいでもう少し我慢しなければならなかった。10分後、町に出られた。友達が今何処かトイレのある場所を探し、止まるといった。でももう限界を超えた私にはその余裕はなかった。赤信号でもういいと行って突然車を降りて人気にない場所を探しに走って行った。幸い、何かトラックの駐車場みたいな建物をすぐ見つけてそこでトイレがあった。トイレを見て嬉しくなると一度も思ったことがなかった。今振り返ってみると、なんて経験だったなあと笑う。
3時間後、ボストンに着いた。ホテルで部屋を借りた。次の日では、アクアリウム、ボストンダウンタウンなどなどの面白い所に行った。それから、リーガルシーフードというレストランに食べた。そのレストランはボストンで一番シーフードが美味しいレストランと謳われているだけあって、料理はほっぺたが落ちるほど美味しかった。
旅は長かったけど、ナイアガラもボストンもとても楽しかった。